ビジネス時事通信 Vol.6

美しさについて

人類は皆美しいものが好きです。
醜いものは嫌われます。
何が美しくて何が美しくないのか、評価基準は何に基づいて決められるのでしょうか?

私は以前、フラワーコーディネーターとして美しさを追求する仕事をしていました。
お花の世界に入り、お花の生け方など技術面を勉強していたのですが、
その過程で「どういう生け方が美しくて、どういう生け方が美しくないのか?」という疑問にぶつかるわけですが、
美しさのとらえ方がその国々で異なり、それに基づいた技術がそれぞれの国で進化しているという事実にたどり着きます。
8年ほど仕事をしていましたが「美しいとされる評価基準を理解」することのほうが「技術習得」以上に時間がかかりました。

例をあげると、

ヨーロッパなどではお花のフォルムやカラーに着目し、そのデザインを生かしたものが美しいとされています。
いわゆる視覚的な美の追求がヨーロッパです。

一方、日本の生け花においては、花を一つの生命としてとらえ、その外形は内面が昇華したものと考え、
ニュアンスは難しいですが視覚的な美より内面(精神)的な美を追求しているのが日本です。

この美しさはそのまま価値に置き換えることができます。
価値があるとされるものは、結局は価値の尺度が違う環境に持っていくと価値が無くなったりするわけです。
一方価値がないとされるものも、環境が変われば価値が出たりするわけですから、
ビジネスに置き換えると、良品とされる商品があったら同じ尺度でその商品に価値を見出してくれる先に持っていく
その価値を享受してもらうことができます。
「ランニングシューズはマラソンする人には価値がわかってもらえるので売れる」みたいなことですね。
こうした販売がうまくいかない良品は販売先が価値を享受できるかよく考えてみると販売できるかもしれません。

日本には「わび・さび」というものがあります。
これは一言で表現するのは難しいのですが、お花の世界では無駄のない理路整然とした状態のことを指しています。
日本には「一輪差し」というものがありますが、これも「わび・さび」があって初めて成立するものです。
しかし一輪差しは「わび・さび」がわからないヨーロッパの人がとらえる視覚的な美から考えると、「みすぼらしい」と映るはずです。
この視覚的に見えない美しさを享受できる日本人、最近は美しさも欧米化して少し感覚が失われているのかなと思います。

昔は細かくルールを取り決めていなくてもうまく回っていたものが、うまく回らなくなった原因はこういうところにあるのではないか、
何事も視覚的にハッキリさせないと美しくないとされてしまうのは残念で仕方ありません。
精神的な美しさを評価し許容出来る世の中に戻ることを望みます。